top of page
COMMENTS
コメント
私が子供の頃、狐を見たことがなかった。
戦後暫くしてから、獲り尽くされていた狐や鹿が姿を現したこの世界は、なんと神秘的に映ったことか。
私たちはすべての生き物と共に生きている。伝統に則り祭祀を執り行うアイヌを誇りに思う。
日川エカシの言葉は、生き物すべてに畏敬の念を持っていたことの表れ。
この映像はアイヌの生活・風習・儀式に関する永久に残すべき遺産。
宇梶静江(アイヌ伝統かたりべ・古布絵作家・詩人)
動物を我が子のように育て、それを屠って魂をカムイの世界にいる両親の元に送り返す。
そのことの意味を十分に理解していた人たちが大勢いた時代の記録。
35年前に行われたアイヌの「狐送り」の映像が今公開される。
アイヌの精神文化・世界観を学ぶまたとない教科書であり、アイヌ文化を未来につなぐための貴重な遺産である。
中川裕(『ゴールデンカムイ』アイヌ語監修)
めくるめく歌や踊りの美しいこと。
よろこび、かなしみが、同時に溢れてくる。
人間(アイヌ)は、なぜこんなにも苦しい儀式を、ここまで晴れやかにやりとげるのだろう。
私たちは生きているだけで、想像しきれないほどたくさんの動物の死骸の上に立っている。
自然との共生が謳われる今、自らの命を肯定しながら、自らの残酷さとどう折り合いをつけたらいいのだろう。
アイヌの人々の築いた信仰が、その一つの答えとして、生々しく身体的に、35年の時を経て現代の私たちに、同じ問いを投げかけてくる。
コムアイ(アーティスト)
大切に保存されていたイオマンテの文化があっという間に消えてしまうとは衝撃的な事実です。
ようやく先住民と認められたアイヌの大変重要な映像の記録がここにあります。
ピーター・バラカン(ブロードキャスター)
狐は、いろいろな地域で海にまつわるカムイであったり、海で迷ったアイヌを導いたなんて語りがあるね。
これほどのカムイノミならば、これほどの神々に届きそうなウポポ、リムセならば、供物ならば、チロンヌㇷ゚のカムイの国では、大評判なコタンであり、エカシであるね。
日川のエカシが生涯尊敬された意味もわかりますね。
美しい祈りの美しい時間。
結城幸司(アイヌアートプロジェクト代表・版画家)
神(カムイ)の国から人間(アイヌ)の国を訪れたツネ吉を、我が子のように育てながらも、祈り屠る日川エカシ。新しいカムイに生まれ変わらせるために。ウポポもリムセも、祈詞も所作も、自然に寄り添い美しい。そこでは時間も神も人間も、生死を超えて循環しつづける。近代が綻び大きな転換期にある現在、自然と私たちとの根源的な繋がりを問い直すかけがえのない記録であり、映像と音が織りなす叙事詩。
四方幸子(キュレーター・批評家)
克明に捉えられた儀礼の細部に目を凝らしていると、アイヌの人々の目を通した「世界」を丸ごと受け止めている感覚になった。
森羅万象と生きるための壮大なロジック、その支持体として歌や踊りがあるさまに心が震える。
武藤大祐(ダンス批評家)
イオマンテでは、人間の国と神の国の間の「連絡通路」が開かれる。
人間の国と神の国、この世とあの世の間の連絡通路が開かれることが、そこではとても大事なことである。
アイヌの人たちは、実存のすべてをかけて、この儀礼に挑んできた。
儀礼の準備から、儀礼の作法まで、間違いがあってはならない。
それは、生存に重く関わる、神との交歓や交渉の糸口だからである。
儀礼を司る日川善次郎さんの唱え事の言葉には、
それゆえに、気迫が籠っている。
その声は静かだが、儀礼の会場のみならず、神の国への連絡通路の向こう側にまで響き渡る。
神によって人間が生かされている。
そのことが、慎ましくかつ朗々と歌い上げられる。
奥野克巳(文化人類学者)
かつて、当たり前のように私たちの生活と心の真ん中にあったもの、その大切なもののことを自分は忘れていたのではないか。
失われたものの姿はしかとは見えず、ただその大きさに戦慄する。
それでも、連綿と繋がれてきた命のバトンをこの手にしている。
今、生きている、そのことをありありと感じる。
近衛はな(俳優・脚本家)
死は終わりではない。霊と肉は永遠に巡る。自然はみな神様。生かされているもの、殺すもの、殺されるものも、みな神様。
小さなひとつの命を村人中で見送るイオマンテは、生きとし生けるものすべての命に捧げられる祈りであり、神々との交信である。
なまのいのちの手触りを忘れ、神の国から遠く離れてしまった現代人にとって、この映画によって儀礼が復活する意味は、とてつもなく大きい。
纐纈あや(映画『ある精肉店のはなし』監督)
私たちにとって切り離す事のできないイオマンテと、日川エカシの生きた言葉を、現代において肌で触れることができる貴重な映画だと思います。
アイヌでもあるわたし自身も何をもって「アイヌ」というのか、答えは見つかっていませんが、一生模索し続けなければと感じました。
関根摩耶
bottom of page